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那覇地方裁判所石垣支部 昭和55年(わ)33号 判決

主文

被告人を懲役二年に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、医師の資格を有し、昭和五四年七月から沖繩県石垣市美崎町二番地の三で奥平医院を開業し、優生保護法上の指定医師として人工妊娠中絶等の医療業務に従事しているものであるが、

第一  昭和五五年一〇月七日ころ、S女(当時一六歳)から堕胎の嘱託を受けてこれを承諾し、胎児が母体外において生命を保続することのできない時期ではないにもかかわらず、同月八日から一七日までの間、同医院において、同女に対し、ラミナリア桿を用いて頸管を拡張させ、アトニン点滴により陣痛を促進させるなどの堕胎措置を施し、その結果同月一七日午前一〇時三〇分ころ、妊娠満二三週を超えた胎児を母体外に排出させ、もつて業務上堕胎をし、

第二  前記一のとおり堕胎措置を施した結果、前同月一七日前記S女が生育可能性を有する未熟児を出産したが、被告人は、前記の堕胎を行い未熟児を出産せしめた医師として、同児を監護養育すべき母親S女とともに、未熟児である同児に対し保育器へ収容する等未熟児保育に必要な医療処置を施して生存に心要な保護を与るべき保護責任があるところ、右S女と意思相通し、同児を保育器へ収容するなど未熟児保育に必要な医療処置を施すことなく前記医院に放置し、よつて同月一九日午後四時三〇分ころ、同所において、同児を未熟による生活力不全により死亡するに至らしめ、

第三  前同月二〇日午後、前記嬰児の死体を引き取りにきた同児の父T男に看護婦をして死体を引き渡せしめ、その際右Tに対し、「バレないように死体は砂地でないところに穴を深く掘つて埋めなさい」などと指示し、これを了承した右Tと共謀のうえ、右Tにおいて更に前記S女らと意思相通し、右T及びSらにおいて同月二一日午後九時ころ、前同市字新川竿若原一九九四番地の一のT1方畑の土中に右死体を埋没し、もつて死体を遺棄し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(罪となるべき事実を認めた理由及び弁護人等の主張に対する判断)

第一業務上堕胎罪について

被告人の判示第一の行為は、被告人が医師として、妊婦Sの嘱託を受け、胎児を自然の分娩期に先立つて人為的に母体外に排出したもので、これが刑法二一四条の業務上堕胎罪の構成要件に該当することは明らかであるが、被告人及び弁護人は、右胎児の母体外への排出は、優生保護法上の指定医師による人工妊娠中絶として行つたものであるから、刑法三五条により違法性を阻却する旨主張するので、この点について判断する。

一胎児を人為的に母体外へ排出する行為、すなわち堕胎行為が、優生保護法上の人工妊娠中絶として法令により違法性を阻却されるためには、(一)当該堕胎行為が「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」になされること(同法二条二項)、及び(二)同法一四条一項各号の一に該当する者に対して、同条に定める手続をふんでなされることが必要である。

二そこで、まず本件において、被告人の堕胎行為は、胎児が母体外において「生命を保続することのできない時期」になされたか否かについて検討する。

1 ところで、同法二条二項にいう胎児が母体外において「生命を保続することのできない時期」をいかに判断するかについては、法令上何ら規定が置かれていないけれども、胎児の発育に関する基準に基づいて医学的に判断すべきものと考えられる。

この点につき、前掲「優生保護法指定医師研修会資料」及び「優生保護法に関する質疑応答集」並びに司法警察員作成の「優生保護法に基づく人工妊娠中絶の実施時期についての資料入手について」と題する書面添付の各資料によれば、かねて厚生省は、昭和二八年の事務次官通知「優生保護法の施行について」(同年六月一二日厚生省発衛第一五〇号)をもつて、右「生命を保続することのできない時期」の基準を、通常妊娠八月未満としてきたが、その後の医学の進歩に伴い未熟児保育の医学的水準等も向上してきたことから、昭和五一年右通知を改正することとし、この通知改正に際し、同省から照会を受けた日本産科婦人科学会は、昭和四五年の段階の調査結果において在胎第二五週(満二四週)の児の生存例が一例存することなどを根拠に、生育可能限界を在胎第二五週(満二四週)であると結論した旨を回答し、また社団法人日本母性保護医協会も、生命保続の可能性を「一例でも生育した例が存する限界」と解するならば、妊娠第七ケ月の胎児には僅かながら体外において生命を保続する可能性がある(ただしその殆どすべては第七ケ月後半であつて、前半には極めて少ない)旨を回答し、同省はこれら回答を受けて、昭和五一年一月二〇日厚生省発衛第一五号厚生事務次官通知をもつて「胎児が母体外において生命を保続することのできない時期」の基準は通常妊娠第七月未満であるとし、なお妊娠月数の判断は指定医師の医学的判断に基づいて客観的に行う旨通知したが、昭和五四年一月一日から妊娠期間を従来の月数から満週数で表示することになつたことに伴い昭和五三年一一月二一日厚生省発衛第二五二号厚生事務次官通知によつて前記通知の「第七月未満」が「満二三週以前」に改められ現在に至つていることが認められる。

そして証人赤嶺正次の証言によれば右「生命を保続することのできない時期」の基準を妊娠二三週以前に置く厚生事務次官通知の見解は、医師の間で医学的に相当と一般に考えられており、人工妊娠中絶を行う指定医師も右基準に準拠して中絶の可否を判断していることも認められる。

以上の通知改正の経緯、及び右医師界の事情並びに優生保護法の目的に照らすと、前記厚生事務次官通知の基準は、同法二条二項にいう「胎児が、母体外において生命を保続することのできない時期」を医学的に判断する際の重要且つ妥当な基準と考えられる。

2(一) そこで、右基準に則つて客観的に本件胎児が母体外で「生命を保続することのできない時期」にあつたかについてみるに、

(1) 世界保健機関の定義により、妊娠期間は最終の正常月経第一日から起算し、満日数又は満週数で表現するとされているところ、Sの証言によれば、同女の最終月経第一日は昭和五五年四月一七日ころと認められ、同日を起算日として妊娠満日(週)数を算定すると、初診時(同年一〇月七日)において妊娠一七三日(満二三週と六日)、分娩時(同年一〇月一七日)において妊娠一八三日(満二五週と二日)となり、いずれの時点においても、妊娠満二三週を超えていたこと、

(2) 証人安田京子の証言及び被告人の検察官に対する昭和五五年一一月三〇日付、同年一二月一日付各供述調書(その信用性については後述する。)によれば、妊婦Sの子宮底の高さは臍上二横指径(約三センチメートル)、恥骨結合部から二一ないし二二センチメートルあつたことが認められ(右認定に反する被告人の公判廷における供述は前記証拠に照し措信できない。)眞柄正直著「最新産科学」によれば既に妊娠七ケ月(満二四週以上)の子宮底の高さを示しており、外部から判定しうる徴候も、右(1)と符合して満二三週を過ぎていたこと、などから、本件胎児は客観的にみて、分娩時は勿論、初診時においても妊娠満二三週を超えており、前記基準によれば母体外において「生命を保続することのできない時期」にはなかつたと考えられる。

(二) 更に結果的にみても、

(1) 被告人の公判廷における供述によれば、通常生育の可能性のない出生児は、分娩後数時間を経ずして死亡するところ、前記認定のとおり本件嬰児は昭和五五年一〇月一七日午前一〇時三〇分ころ出産し、同月一九日午後四時三〇分ころ死亡するまで、何ら未熟児に必要な処置を施されないまま、実に約五四時間も生存したこと、

(2) 前掲鑑定人井尻巌の鑑定結果によれば、本件嬰児の体重は、昭和五五年一〇月二四日の鑑定時点において約八三〇グラムであつたと認められるが、同児は何ら栄養補給を受けずに右のとおり約五四時間生存しており、同鑑定意見によれば、その間排泄、体水分喪失等による体重減少が考えられ、かつ、死後鑑定時まで約五日が経過してその間水分喪失による体重減少も考えられるとのことであり、右意見は合理的と思われるので、死体が一〇数時間土中にあつたことを考慮しても、出産時における同児の体重は八三〇グラムをはるかに超え、一〇〇〇グラム弱と推定されるところ、前掲奥山和男著「周産期医療の進歩」によれば、昭和四九年、五〇年において体重一〇〇〇グラム以下の超未熟児のほぼ五〇%が救命されているとのことであり、また前掲沖繩県立八重山病院の捜査関係事項照会に対する回答書によれば、石垣市内の同病院においても昭和五三年に体重九〇〇グラムの新生児が、昭和五四年に体重九二〇グラムと八六五グラムの新生児が、それぞれ生育していることも認められること、

以上からすると、現実に生産児として出産された本件嬰児は、生育可能な状態にあつたと判断しうるところである。

(三) 右(一)、(二)を総合すれば、客観的にみて、医学的な判断として、本件胎児は分娩時においても初診時においても、母体外において「生命を保続することのできない時期」になかつたことは明らかである。

3(一) しかるに、被告人は、妊婦Sを診断した際、妊娠六カ月末(すなわち満二三週)と判断した旨公判段階で述べ、またSの証言、安田京子の証言等によれば、被告人は右Sに対し妊娠六ケ月である旨告げ、当初のカルテにも妊娠六ケ月末と記載したことが認められる。そして被告人は妊娠月数を右のように判断した根拠として、妊婦Sが未産婦で最終月経について明確な答えをしなかつたことから妊娠週数算定の起算日たる最終月経初日には重点を置かなかつたことと、被告人が妊娠週数判定の際最も重点を置いている子宮底の高さが臍のあたりで、恥骨結合部から一八ないし二〇センチメートルであつたことを挙げる。

(二) しかしながら、(1)前述のとおり、診断時において被告人が測定した際、子宮底の高さは臍上二横指径(約三センチメートル)、恥骨結合部から二一ないし二二センチメートルあつたと認められ、本件に顕われた妊娠週数判定に関する文献によれば、右の子宮底の高さは、いずれも妊娠七ケ月を示しており、(2)また、Sの証言によれば、最終月経日について、同女の答えが明確を欠いたとはいえ、一応同年四月二〇日ころと答えたことも認められ、これを基準に妊娠週数を計算しても、やはり妊娠満二三週を経過している。

妊娠週数の判定は、前記事務次官通知にも示されているように指定医師の医学的判断に基づいて客観的に行うべきものであり、以上の子宮底の高さや最終月経時期を基に通常の指定医師が医学的判断に基づいて客観的に妊娠週数を判定するならば、既に妊娠満二三週を超えていると判断してしかるべきものと考えられ、なるほど最終月経の第一日が明確でない場合、妊娠週数を正確に判定する方法はなく、子宮底の高さ等から近似値を得るにすぎないにせよ、指定医師として人工妊娠中絶を専門とし、その職歴も長い被告人が、自ら右子宮底の高さを測定しながら、なおかつ妊娠六ケ月末と判定すべき特段の徴表も窺われないのであるから、被告人がその医学的判断に基づいて客観的に判定するならば、被告人においてもまた妊娠満二三週を超えているとの判定があつたものと考えられる。

(三) 更に証人安田京子、同仲道久子の証言及び被告人の検察官に対する昭和五五年一一月三〇日付供述調書並びに押収してある診療録(昭和五六年押第一号の1、同号の2)によれば、被告人は本件が警察等に発覚するや、中絶の事実を秘し自然早産の体裁をとるべく、昭和五五年一〇月一六日付でカルテ(昭和五六年押第一号の2)を作り直し、診断時(一〇月七日)から作成した当初のカルテは破り捨て、更に看護婦仲道久子が警察で初診日が同月八日である旨供述したことを聞くや、右供述に合わせるため、同月八日付のカルテ(昭和五六年押第一号の1)を作成したことが認められる。この点に関し、被告人は公判段階で、右一〇月一六日付及び一〇月八日付カルテは事が警察問題になつたため、第三者が読み易いよう当初のカルテを整理して書き写したにすぎない旨主張するが、右主張は極めて不自然であるばかりでなく、証人仲道久子の証言により当初のカルテには子宮底の高さとして二〇センチ台の数字が記載されていたことが認められるにも拘らず、右一〇月一六日付のカルテには一八センチメートルに改められ、また測定していない体重が記載され、死亡日時も一日早めて記載され、更に死体処理に関して指示した事項として本件の他の証拠に照らして明らかに虚偽と認められる合法的な送葬方法が記載されているのであつて、このカルテは、被告人の右弁解にもかかわらず、非合法な中絶を秘す意図で作り替えたものと考えざるをえず、このように中絶の事実を秘すべく子宮底の高さを含め意図的にカルテを作り替えていることは、被告人の主張とは裏腹に、被告人が妊娠週数に関する本件中絶の非合法性について認識していたことを推認せしめるものである。

(四) 被告人は捜査段階において、初診の際妊娠七ケ月目に入つていたことを認識していた旨検察官に対し供述している。

弁護人らは、この点について、被告人の捜査段階における自白は、医師として社会的地位のある被告人が、身柄拘束を受けたことによる精神的苦痛と屈辱感の下で、一日も早く釈放されたい一心から捜査官の意見に迎合して事実と異なる供述をしたものであつて、信用性がないと主張し、被告人も公判廷において右主張にそう供述をしている。しかしながら、証人前竹伊一郎の証言等により、被告人の検察官に対する供述は、その任意性に疑いがないと認められるのみならず、供述内容が客観的事実に関し、証人仲道久子、同安田京子、同Sらの証言とほぼ一致している。右証人仲道久子、同安田京子は被告人の医院で相当期間看護婦として雇用されていた者で、被告人に対し恩義こそあれ、敢て被告人に不利な供述をすべき事情は見当らず、証人Sも証言当時既に少年事件としての処分は確定していた以上、右証人らの証言は信用性に欠けるところがないと考えられる。

一方、被告人の公判廷における供述は、その内容が右仲道久子らの証言と少なからざる点で齟齬があるのみならず、供述自体において、例えばカルテの書き換えについて前述のとおり不自然な点が窺われ、更に右供述どおり妊娠六ケ月末と判定したのならば、自己の判定の合理性を裏付ける最も重要な資料となる当初のカルテを、いかに雑然と記載されていたにせよ、わざわざ破いて廃棄するはずはないのであつて、自己の行動との矛盾も窺われるのである。

してみると、弁護人らが主張するように、捜査段階において被告人に精神的苦痛や屈辱感があつたことは理解できないわけではないけれども、前記信用性に欠けるところのない証人らの証言とほぼ一致する被告人の検察官に対する供述は、右のような被告人の公判廷における供述と対比してみても、特段その信用性にも疑いがないと認められ、検察官に対し、事実と異なる供述をした旨の被告人公判廷における供述は措信できない。

(五) 以上(二)、(三)、(四)を総合すると、初診時における被告人自身の医学的判断においても、妊娠週数が満二三週を超えているとの認識があつたと認められる。(なお、前述のとおり被告人は妊娠婦Sに妊娠六ケ月末と告げ、当初のカルテにその旨記載しているが、被告人にしてみると、法律上許容されない行為であることを示す事項の告知、又は記録をはばかるのは当然であるから、妊娠六ケ月末と告知、記録したことも右認定に合理的な疑惑を抱かせるものではなく、他に右認定に合理的疑惑を抱かしめる証拠、事情は存しない。)

(六) そして、胎児が母体外において「生命を保続することのできない時期」の基準を妊娠二三週以前とする前記事務次官通知は指定医師に周知されており、被告人自身も右基準を熟知していたのであるから、被告人の医学的判断においてもまた本件中絶時期が右「生命を保続することのできない時期」にはないことの認識があつたと認められる。

4 そうすると、前記2のとおり、本件胎児は客観的に医学的にみて、分娩時はもとより初診時においても、母体外で「生命を保続することのできない時期」にはなく、のみならず前記3のとおり、被告人の医学的判断においてもまたその旨の認識があつたわけであるから、被告人の行つた本件胎児の母体外への排出行為は、すでに優生保護法上の人工妊娠中絶の要件を欠いていることが明らかである。

三よつて、被告人の本件胎児の母体外への排出行為が、優生保護法一四条一項の要件を具備しているか否か(この点についても問題の多いところであるが)について判断するまでもなく、被告人の右行為が優生保護法上の人工妊娠中絶であつて違法性が阻却されるとの被告人及び弁護人の主張は採用できず、被告人の右行為は業務上堕胎罪としての違法性を有するといわなければならない。

第二保護責任者遺棄致死について

一まず、前記認定事実、並びに証人安田京子、同仲道久子、同S、同Tの各証言及び鑑定人井尻巌の鑑定結果によれば、Sが本件胎児を懐妊したいきさつ及び本件新生児が死亡するまでの経過等は次のとおりであつたことが認められる。

すなわち、Sは、当時一六歳(ただし被告人には一七歳と申告)であり、T(当時一七歳)と結婚を前提としない異性交遊の結果妊娠し、両親、兄姉に妊娠の事実を打ち明けることもなく、知人から中絶費用を借りて被告人に中絶を依頼した。右依頼により、前述のとおり、被告人が胎児の生育可能時期に、その旨の認識を有しながら堕胎行為を行つた結果、昭和五五年一〇月一七日午前一〇時三〇分ころ、妊婦Sは体重一〇〇〇グラム弱で、弱々しく産声を上げる未熟児を出産した。右Sは、生産児を分娩した後も、前記事情や自分だけでは本件嬰児を養育できないと考えたことから、同児の養育に意欲を示さず、保育に消極的又は拒否的な態度を示していた。被告人は、Sに養育の意思を確めることなく、また保育器に収容する等未熟児の哺育方法を指導することもなく、新生児の体重も測定しないでバスタオルに包み、冷房の効いた同医院の休養室に産婦とともに寝かせておいた(なお同児は時に頭までバスタオルをかぶせられていた)が、同日午後五時ころには、「子供は医院で預かるから、一日一回は見にきなさい」旨言い渡して、同女を退院、帰宅させ、自己の医院に右新生児を引き取つた。同児は右Sが退院した後もそのままの状態に置かれ、結局翌々日の同月一九日午後四時三〇分ころ未熟による生活力不全により死亡するに至つた。

二1  本件嬰児の生育可能性

以上の認定事実をもとに、被告人に対する保護責任者遺棄致死罪の成否について検討することにするが、そもそも医学的にみて本件嬰児に生存の可能性が全く無ければ、同児の「生存に必要な保護」というものが考えられないし、死に至つたとしても不作為と死の間の因果関係が否定されることになるから、前提として本件新生児に生育可能性が認定されなければならないところ、この点については、既に述べたとおり、(一)本件新生児は客観的に妊娠満二五週を超えており、医学的に相当と考えられる前記厚生事務次官通知の基準によれば、生命を保続する可能性があること、(二)全国的にみて体重一〇〇〇グラム以下の未熟児であつても、その生育例は五〇パーセントに近く、県立八重山病院においても体重八六五グラムの未熟児の生育例があること、(三)結果的に本件嬰児は約五四時間生存したことなどから、本件嬰児は、本件当時の医療水準における適切な保育処置を施せば生育する可能性があつたと認められる。また被告人の当公判廷における供述により、被告人自身(一〇パーセント程度にせよ)本件嬰児の生育可能性を認識していたことも認められる。

2  本件嬰児の「生存に必要な保護」

しかしながら、本件嬰児は体重一〇〇〇グラム弱の極小(又は超)未熟児であり、証人赤嶺正次の証言、被告人の当公判廷における供述、及び前掲中嶋唯夫、後藤彰子の論文によれば、かような未熟児の生存のためには、保温、呼吸管理、感染防止等の専門的医療を施すことが必要で、保育器への収容が不可欠ないしは最善であると認められ、このことはとりもなおさず、本件嬰児の「生存に必要な保護」とは、保育器に収容する等未熟児保育のための医療を施すことを意味するものと考えられる。また前掲証拠によると、被告人の医院には未熟児を収容する保育器等の設備はなかつたが、同じ石垣市内の県立八重山病院には保育器五台が設置されていたので、右医療を容易に施しうる状況にあつたと認められる。

3  本件嬰児に対する医師たる被告人の保護責任

ところで、子の監護義務は民法上親権者が負うこととされており(更に右親権者が未成年であればその親権者が親権を代行する)、法律上子を監督養育すべき義務を負う親権者(母親)が現に存する場合、堕胎の嘱託を受けた医師が、その結果出産された嬰児につき、このことから直ちに刑法二一八条にいう法律上の保護責任が生じるかについては問題の存するところである。

しかしながら、本件において、被告人は、堕胎の嘱託を受けたにしても、生命を保続できる新生児が出生する可能性のある時期(そしてその新生児は当然未熟児として出生する時期)にこれを応諾し、堕胎を行つた結果、前記保護を要する状態の本件嬰児を出生せしめたこと、本件新生児は極小(超)未熟児で高度の専門的医療による前記保護を必要とし、監護者(母)は当時一六歳で右保護を施すことについての知識がない者であるから、医師としては監護者に対し新生児の療養の方法等を指導すべき義務もあり(医師法二三条参照)、また医療設備を備える病院への斡旋、紹介、搬送等の労をとるべく期待され、医師においてこそかような措置を容易かつ迅速になしうること、更に被告人はなお未熟児医療を施すことによつて生育させることの可能と思われる時期に母親を退院、帰宅させ、自ら本件嬰児を預かり、引き取つて自己の管理下に置いていること、以上の事情を総合すれば、本件においては、医師たる被告人にも監護者とともに前記の未熟児保育に必要な医療を施すべき刑法上の保護責任があるというべきである。

4  なお、被告人及び弁護人らは、本件嬰児の父母に結婚する意思がなく、育児の能力もなければその意思もなかつたこと、そして医師と患者との関係で患者に診療選択権があり、このような患者の選択権を無視して医施を強制することはできないこと、などから担当医である被告人には本件嬰児に対する法的な保護責任、保護義務がなく、また保護を与える「期待可能性がない」旨主張する。

なるほど、一般論として、意思無能力の患者(未熟児)の監護権者(父母)が患者に対する施療に真摯で強固な反対意思を表明する場合にも、なおかつ医師が専断的に患者(未熟児)に医療を施すことができるか、また施すべきかという問題は、多く検討を要する問題ではある。

しかし、本件において、嬰児が生育可能な状態で出生している以上、刑法上人として保護されるべき客体であることは勿論であつて、このような嬰児の生命に係わる法的な保護責任を考えるうえで、母親の妊娠の経緯や年齢からみて嬰児の推定的利益と相反する立場にある母の保育意思をことさら重視することはできないのみか、前述のとおり母Sが子の保育に消極的ないし拒否的な態度を示していたにせよ、被告人は、同女の保育意思すら確認することもなく、同女に対し翻意を促す何らの勧告、説得も行つていないのである。更に父母の「保育能力」(経済的能力をいうのか、それ以外のものを含むのか明らかでないが)の点も含め、子に対する監護は法的にも常識的にも独り未成年である母のみが為すべきものではないのに、被告人において右Sの両親の監護意思、監護能力を把握しようともしていないのである。

以上の情況からすれば、被告人に前記3で述べた保護責任の免責を認めることは到底困難であるし、被告人に前記保護責任の下で「生存に必要な保護」を与えるべく期待して不合理はないと考えられるので、この点に関する弁護人らの右主張は採用できない。

三以上のとおり、本件事情のもとにおいては、被告人にもSとともに、本件嬰児に対し未熟児保育に必要な医療を与える保護責任があつたところ、前記一で認定した被告人の本件嬰児の取り扱い及びSに対する言動等から、動機が右Sら少年の将来と前途を慮つたことにあつたにしても、被告人においてもまた右医療を施さないことによつて本件嬰児の生命に少なくとも抽象的な危険のあることを認識し、これを認容しながら、右Sと黙示的な意思連絡のうえ、本件嬰児の生存に必要な前記保護を与えなかつたことは明らかであり、そして保育器に収容する措置を講じなかつたばかりか、保温、呼吸管理等についても何ら配慮することなく、結局本件新生児を生活力不全により死に至らしめているのであるから、Sとの不作為による共同正犯としての保護責任者遺棄致死罪の成立を認めることができる。

第三死体遺棄について

一本件嬰児の死体は判示のとおり、T1(Tの親)の畑に埋められていたが、判示第三の事実に関する前掲証拠(ただし被告人の当公判廷における供述を除く)によれば、死体が土中に埋められるまでの経過については次のとおり認められる。

すなわち、本件嬰児の父Tは、同児が出生した日に被告人から指示されたとおり、昭和五五年一〇月二〇日午後も被告人の医院を訪れたところ、看護婦仲道久子からセフアレキシンの段ボール箱に納められた、新聞紙に包装された同児の死体を引き渡された。被告人の医院では通常死胎の処理についての指示は看護婦が行つていたが、右仲道久子がTに死体を引き渡す際には、被告人においてTを呼び寄せ、診察室の椅子に座らせたうえ、「墓はあるか」と聞き、右Tが「ない」と答えると、「赤ん坊は死んだから持ち帰つて埋めなさい。砂地に埋めると犬が掘り出すから、バレないように(又は警察沙汰にならないように)、砂地でない所に穴を深く掘つて埋めなさい」などと申し渡し、右Tは被告人の指示にうなずいていた。(この点について被告人は公判段階で右のような指示を与えたことはなく、「墓はあるか」と聞き、「丁重に葬りなさい」とのみ申し渡したと供述するが、右に掲げた証拠に照らし採用しがたい。)

死体を引き取つたTは、同日夜友人のYと死体を埋める場所について相談し、右Yの意見を容れて、他人の土地に埋めるよりは自分の家の土地に埋めた方がよいと考え、自家の畑に埋めることとし、被告人に指示されたとおり穴を深く堀つて埋めるため、右Yに同行を求めたうえ、翌一〇月二一日午後九時ころ、右Y外男の友人二名並びにS及び同女の女友達三名の合計八名で豚舎前の畑の農道脇に深さ八〇センチの穴を堀り、死体の入つた箱を置き、木箱をかぶせ、土を覆い、その上に石二個を乗せて死体を埋めた。

二まず、Tらの右行為が死体遺棄に当たるかについてみるに、右証拠によれば本件嬰児は人の形体を備えており、右T及びSは、未成年にして結婚を前提としない異性交遊の結果、同女において妊娠するに至り、前記のとおり堕胎したうえ、新生児を保育せず遺棄致死させたものであつて、右の事情から、妊娠、堕胎の事実について外聞をはばかり、警察問題になるおそれを認識しながら警察への発覚を免れるため、死体を土中に埋没したものと考えられ、埋没した場所も豚舎前の畑の農道脇であり、以上のTらの意図、及び埋没場所並びに、前記方法に照らし、本件における死体処理が現今の宗教的感情を害する方法によるものであることは明らかであつて、右Tらの行為は、死体遺棄に該当するといわざるをえない。

弁護人らは、沖繩地方においては、古来早産未熟児を自家の敷地、畑に葬る幼児葬法という風習があり、本件における死体の埋葬は右風習に適つていることから、宗教、風俗上相当な埋葬で宗教感情を害するものではなく死体遺棄罪の構成要件に該当しない旨主張し、証人名嘉眞宜勝の証言によると、沖繩には古来、流産児や未熟児の死体を屋敷内や自己所有の畑等に埋葬する風習があつたことが認められるけれども、被告人自身認めているとおり、同人がTに嬰児死体を引き渡す際、同人に対し墓の有無をたしかめていること、事件の発覚後、犯行を隠蔽するため作出したと認められる昭和五五年一〇月一六日付のカルテには、右Tに対し「自宅で納棺し、明日市役所戸籍課で死亡診断書を出して火葬証明書をもらい丁重に葬るよう指示した」旨の記載があること、判示のとおりTらは本件嬰児死体の埋没を人目をはばかつて夜間に行つていること、司法警察職員作成の嬰児死体発見報告書(謄本)によると、発見者であるT1は自分の畑である現場に大きな石二個が置かれていたことに不審を抱き何かが埋められていると思い掘りおこしてみたところ木箱が出て来たので警察に通報したことが認められ、以上の各事実に、埋められていたのが嬰児死体であることがわかるや新聞等がこれを大きく報じたこと等を併せ考えると、判示のとおりの本件嬰児死体の埋没方法が行為地である石垣市において世間一般に認められている現今の習俗に適つたものとは到底認め難く、この点に関する弁護人らの主張は採用するに由なきものといわなければならない。

三被告人の刑責について

弁護人らは、仮にTらの行為が死体遺棄の罪に当るとしても、被告人と右Tらとの共謀がない旨主張するので、この点につき検討する。

被告人とT、Sらとの関係は、被告人が右Sから妊娠中絶の依頼を受け、堕胎を行つて本件新生児を出産させたというものであるが、一方被告人は前記第一で詳述したとおり非合法な中絶を行い、また前記第二のとおり本件嬰児に生存のための必要な保護を与えず死に至らしめたものでもあり(以上の点について医師にあるまじきこととの認識が被告人にあつたことは、前記のとおり本件が警察に発覚するやカルテを書き換え、子宮底の高さや、死亡日時等について虚偽の事項を記載していることからも窺われる)、一連の医師としての非行が警察等へ発覚するのを危惧する立場にあつたものである。また、被告人は、右Sらの年令や診断及び施療過程における態度からみて、死体を同人らに引き渡せば、前記理由から同人らが火葬による正規の埋葬をせずに死体を遺棄する挙に出るであろうことは容易に認識しえたはずであり、被告人が捜査段階で本件においては初めから(火葬のための)死亡診断書を作成する意思はなかつたと述べていることも被告人の右認識を裏付けるものである。

そして前記一のとおり、被告人は、看護婦仲道をして死体を右Tに引き渡す際、特に右Tを呼び寄せ、埋葬法による正規の埋葬方法を指示することなく、逆に「バレないよう(又は警察沙汰にならないよう)」土中に深く埋めるよう指示しているのであり、このような言動からみて、被告人自身においてもまた自らの非違が警察等へ発覚するのを免れるべく、死体を土中に埋没する挙に出るであろう右Tらの行為を利用して死体を土中に遺棄せんと意図していたことも認められるところである。

被告人は右のような認識と意図をもつて右Tに前記指示を与え、右Tは(被告人の指示如何にかかわらず死体を遺棄したではあろうが)被告人の指示を了承し土中に深く穴を堀つて本件死体を埋没しているのであるから、被告人と右Tとの間に共同意思の存在を認めることができ、また被告人の右指示と右Tの了承は、いわゆる共謀共同正犯における謀議の成立と評価しうるところである。

以上の理由により、被告人に右Tらの行為について共謀共同正犯としての刑責を認めることができるのでこの点に関する弁護人らの主張も採用できない。

第四最後に

一弁護人らは、まず判示第一の堕胎罪について、戦後日本において堕胎をめぐる規範意識が変化しており、妊婦に「産まない自由」を認めるべきであるとの主張もあること、そして近年堕胎罪による起訴処罰事例がないことを挙げ、また判示第二の保護責任者遺棄致死罪についても、本件嬰児の父母に育児の能力及び意思がなく、未熟児は保育器に収容して仮に生存したとしても知能の発達が遅れたり優生学的に健康でない場合が多く、このような場合、医師が妊婦の「産まない自由」を尊重することは規範的に許されるべきであり、そうでなければ未婚の母は青春時における一回の失敗のため終生にわたつて不幸と犠牲を強いられること等を挙げ、本件は「犯罪の成否をあげつらう前に不起訴の処分あるべき事案」であつた旨を主張している。

右の主張の趣旨は必ずしも明らかではないが、判示第一、第二の事実につき、被告人に可罰的違法性が無い旨の主張ともとれるので、この点について付言しておく。

二まず堕胎罪に関し、その存廃をめぐつて多くの議論があり、妊婦に「産むか産まないかを選択する自由」を認めるべきとの主張があることも周知である。一方胎児は、母体を離れて出生した嬰児と同一視はできないにせよ、やがて人となる生命の崩芽として保護、尊重されるべきものでもある。妊婦の「選択の自由」を考慮するとしても、これと胎児の保護をいかに調整するかは、大きな問題であるが、現行優生保護法は「胎児が母体外において生命を保続することのできない時期」に限つて、同法一四条一項各号の一の適応要件を充たす場合に人工妊娠中絶を認めているところからすれば、母体外で生命保続の可能な胎児の人工妊娠中絶を認めないことにより、かような胎児の保護を厚くしていることは明らかである。

そして、本件は、まさに母体外で生命保続が可能な胎児に関する堕胎の事案なのである。また医師赤嶺正次が、指定医師で胎児が母体外において生命を保続できる時期に中絶を行う者はまずないとの趣旨の証言をしていることも注目すべきである。

三また保護責任者遺棄罪についても、本件嬰児は生産児として出生し、当時の医療水準における適切な哺育処置を施せば生育する可能性があつた者であり、このような嬰児が、たとえ生存率が高くはない未熟児にせよ、人として刑法上保護されるべき客体であることは前述のとおりであり、右のような嬰児にまで妊婦の「産まない自由」が拡大されては、ならないこと論を挨たず、かつ、子の監護につき、未婚の未成年の父母のみの保育意思、保育能力をことさら重視すべきではないことも既に述べたとおりである。

更に、本件嬰児は、母体外で生命を保続する可能性のある時期に、そして当然極小(又は超)未熟児として出生する時期に、被告人の堕胎により自然分娩期に先立つて分娩されたものである。

同児は右違法な堕胎の当然の結果としての未熟児であるから、生存率が高くないにしても、そして生育した未熟児に知能の発達が遅れる等の障害がありうるとしても、この点をとり立てて考慮することは相当でないといわざるをえない。また子が生育することによつて、母が「終生不幸と犠牲」を強いられるかどうかはともかく、又養育に相応の負担を生ずることは否めないにせよ、遺棄の結果失われるのは人の生命であり、法益衡量からしても、社会感情からしても、嬰児の遺棄が容認されるはずはないのである。

四いずれにせよ、本件を全体としてみれば、被告人は、母体外で生命保続の可能な胎児を堕胎せしめ、その結果出生した生育可能な嬰児の人としての生命を、前記保護責任の下で何らの保護も与えないまま失うに至らしめたものであり、かような結果の重大性に鑑みると、被告人の所為は医師のモラルの問題をはるかに越え、法的にも社会的にも看過できない違法性があるといわなければならない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二一四条に該当し、判示第二の所為は同法六〇条、二一八条一項の罪を犯しよつて人を死に致した場合であるから同法二一九条に該当し、傷害(致死)の刑と比較し重き同法二〇五条一項の刑で処断することとし、判示第三の所為は同法六〇条、一九〇条に該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑理由)

被告人の本件犯行は、判示のとおり、医師である被告人が、妊婦の嘱託を受けて法律上許されない時期に堕胎をなし、その結果、生産児の出生をみたのであるが、それに相応しい保護を与えず放置して死に致らしめ、死体をその父母らと共謀のうえ土中に埋没して遺棄したというものである。本件の嬰児は、母体外において生命を保続できない時期を過ぎていたのに、自然の分娩期に先立つて母体外へ排出され、生育可能な状態でこの世に生を受けながら、何ら保護を与えられないまま五〇数時間にして死を迎えており、誠に痛ましい限りである。

人工妊娠中絶それ自体については、色々な立場から賛否の意見のあることは、前に触れた如く周知の事実であり、当裁判所がその当否につき容喙するところではないが、こと法に適合しない妊娠中絶に関する限り、それに寛容な態度をとるならば、その延長として嬰児殺や嬰児遺棄にみられるように、人として保護さるべき生命を軽視する風潮を生む危険があり、本件もまさにその一例と見ることができるのであつて、この意味において医師としての被告人の責任は軽くないのである。

被告人は社会的に指導的地位にある医師として、法の許さない中絶の依頼は毅然として拒否し、また、一旦生育可能な子が生れたときは、保育に消極的な母親には翻意を促すべく期待されるところ、本件においては、安易に堕胎の嘱託に応じ、嬰児の出生を見ても母親に養育の説得、勧告をしないばかりか嬰児の体重測定すらせず、昼は冷房が効いて冷く夜は人一人居ない部屋に放置して死に致らせたものであつて、被告人の嬰児の取扱いには、日常業務からする胎児、嬰児の生命に対する感覚の鈍麻ともいうべきものが窺えないでもない。

又行為の一連の流れとはいえ、丁重に葬るべき死体を判示のとおり遺棄せしめ、それが発見されたことにより地域社会とりわけ青少年に大きな衝撃を与えたことが明らかであつて、この意味においても医師としての被告人の責任は軽くないのである。更に本件が警察等へ発覚するや、被告人は法律上記載と保管の義務づけられているカルテを廃棄し、虚偽の記載のあるカルテを作成して自己の非行の隠蔽を企図しており、そして捜査段階では罪を自覚し反省を示しながら、公判の進行につれて自己の正当性のみを主張し反省の色も褪せてきていることは遺憾といわざるをえないところである。

他面、本件の結果については独り被告人の責に帰すべきものではなく、少年や少年を取り巻く環境にも多くの問題の存するところである。また本件胎児は中絶着手時妊娠二四週で、母体外における生命保続が可能な時期であつたとはいうものの、その可能性は高くなく、また出生した嬰児も保育器に収容すれば確実に生育できるという状態ではなかつた。そして被告人の本件犯行は、被告人が検察官に対する昭和五五年一二月二日付供述調書の中で「少年らの将来や前途のことだけを考えてやつたことが間違いだつた。」と自認しているように、堕胎の嘱託を受け、嬰児を取り上げた医師としての選択の誤りと見る余地もある。実際に困惑している未成年の妊婦、母親と、未だ生育の可能性の高くない胎児、嬰児と、いずれを保護すべきかの現実的選択を迫られる医師の立場が必ずしも容易でないことは理解しうるところであり、前述のとおり胎児、嬰児の生命への配慮を欠いた余りに早計な選択の誤りとの非は免れないにせよ、右の立場に立たされた医師が少年の将来と前途を慮ることも情において理解できないわけではない。

以上の事情に加え、被告人は新聞等の報道により一応社会的な制裁を受けていること、相当期間勾留されたこと、再犯のおそれがないこと、その他被告人の年齢、健康状態等諸般の事情を考慮すると、主文掲記の刑を量定するのが相当と考えた次第である。

以上の理由によつて主文のとおり判決する。

(長嶺信栄 大谷剛彦 村上博信)

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